筆とカメラ。

―私の武器だと想う。

実家に帰った。作品を見返した。書道を始めて17年間の、いろんな作品を掛け軸にしたり、額に入れたりしてとってある。ありがたい。

最近自分の詩を「作品」を呼ばれたり、自分が「アーティスト」と呼ばれることに違和感を感じる。それはきっと、詩は自己表現にすぎないから、しっくりきてないんだと想う。詩に関して、金銭の受け渡しをしたくないのも同じ理由。というか、理由は同じ場所にある、ってかんじ。

「あなたの顔を見てインスピレーションで詩を書く」ってなに?詐欺じゃないのあれ(爆)私は人のためにさらさらと言葉は書けない。それくらい重い。

筆の使い方も知らないやつが、筆を扱うことはとても不愉快。筆はあんな扱われ方をするために作られているのではない。

くずした字と下手な字は一目瞭然。それさえ分からん「大衆」に少し落胆。でもこれはお門違い。わかってる。

書道の作品一つ仕上げるのに半紙(一番小さいやつね)でも仕上がるまでに、「100枚」はくだらない。極め続けて、一つの作品ができる。だから、思ったことを、その場で書いただけのものを売れないし、作品とは呼べないし、人に評価されるべきものではない。封印すべきときかもしれない。

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私の写真は「アート」だ。一つの作品として好き。
だからないがしろに扱われたり、名前も出さずに勝手に転載されるのは不愉快極まりない。

今使用してるカメラは4つ。
今デジタル一眼を購入すべく、お金を貯めてる。

フィルムかデジタルか。アングルは?モードは?その人の本当の顔を撮りたいなら、自分に心開いてもらわなくっちゃね。

音を写真に撮りたい。