さくらといちょう。

花を咲かせる時期の桜の木しか私たちは意識していない。


葉を黄色く色づけている銀杏の木しか私たちは意識していない。


(私たち、っていったいだれ?)
昔から不思議に思っている。


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今日はすばらしい緑色(「黒々」と同じ言い回しは緑のはないのかしら。)に染まった銀杏の木を見つけて…。

なんだろう?なんだったんだろう?

なんとも言えない気分になった。
ことばではいえないような、悪い気分じゃないけれどそんなにいい気分でもない、そんな気分に。



あまりにも記憶媒体が多すぎて私たちの頭はパニック状態になっているんじゃないかとか思ってしまう。
パニック状態が普通になっているから、みんなそのままでもう実はパニック状態なのだ。
それでも私は写真を撮る。
瓶詰めしたい、と思うような瞬間を、撮る。
思い出を平穏にそのままでしまっておくスペースが私の中にないから、撮る。


私は何を言っているんだろう?



ふた月に一回くらいでいいから、誰にも侵されない二人だけの日をつくるのもいいのかもしれない。


なんだかとっても、つかれたのです。


私はいつだって人肌が恋しいんだろう。


ママはいつも私に抱きついてくるし、姉とはいつも一緒で。
買い物するときはぜったい手をつないでいる。遠出のときの帰りは車のうしろで膝枕してもらう。
パパとママは仲良しで、映画を見ながら居間でくっついて寝てしまうのがよくある画。
私と姉は食器を片づけ、お風呂を入れてあげて、「お風呂に入ったら?」と起こす。


いま実家は、いろんなことろが止まっているんじゃないだろうかと思う。
4人が、3人になり、2人になった。これ以上減らないでくれと、心から願う。


私はいつだって人肌が恋しい。


かじ、うしこ、あゆに会いたい。
あの人たちには抱きつくことができるんだ。
その距離感がだいすきでたまらない。

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私が生まれ出た時に、3人の家族が温かく迎えてくれて、私が実家に帰るときは、同じ感じを受けていたんじゃないかと今になって思う。
たとえ姉が家にいなくてもそれは変わらないと、なぜか想う。
佐賀が私の実家なんだろう。家族や親せきや友達がたくさんいる、しみこんでいる佐賀の土地があたたかい。


なんだろう。
家族がだいすきだ。


そう、私はすこし、疲れているけれど。きっと、しあわせだ。